万世特攻祈念会館
鹿児島県南薩摩市へ向かいます。
万世特攻祈念会館です。
陸軍最後の特攻基地です。
昭和18年夏から19年末にかけて吹上浜に建設されたのが、陸軍最後の特攻基地「万世飛行場」。
この飛行場はわずか4ヶ月しか使われませんでしたが、17歳の少年飛行兵を含め200人近い特攻隊員が“祖国のため”を合言葉に、ここから沖縄の空へと飛び立っていきました。
こちらの祈念会館は
記念と祈念の違いで意味が深く変わる事を知りました
「万世飛行場」跡地に、恒久の平和を祈念するよう建てられたのが当祈念館です。
受付を済ませ入り口には
吹上浜から引き上げられた日本に一機だけの「零式水上偵察機」が展示されています。
展示を見ていると館長さんらしき方が声をかけてきました。
どちらからいらしたのか聞かれたので
栃木県から来た事を話すと
栃木県からも特攻隊で出陣された方がいる事を教えてくれました。
その隊員さんは貧しい栃木県の田舎で暮らしている祖母を想い、出陣前に祖母の養子となり遺族給付が受けられる様にして旅立った話しを聞きました。
その方の写真も見せて頂き、本当に胸が詰まる思いでした。
そして知覧で聞いた
「 子犬を抱いた少年 」がここにいました。
子犬を抱いた少年兵を囲み、4人の若者がほほ笑んでいる。飛行服に飛行帽、白いマフラーを巻き、首から飛行時計をぶら下げている。飛行帽の上には「必勝」と書かれた日の丸の鉢巻きも見える。
真ん中で子犬を抱いているのが荒木幸雄伍長で、その真後ろにいるのが高橋峯好伍長。ともに17歳だった。ほかの3人はいずれも18歳の早川勉伍長、千田孝正伍長、高橋要伍長。5人は陸軍少年飛行兵(戦死後少尉)。第72振武(しんぶ)隊員として、沖縄に押し寄せていた米艦隊を撃滅するため、昭和20年5月27日未明、鹿児島県の万世飛行場を出撃し、沖縄近海で特攻を敢行した。
第72振武隊は当初、5月26日に出撃する予定で、写真は出撃の2時間前に撮影された。ところが、沖縄地方が悪天候のため、急遽(きゅうきょ)、1日延期された。撮影された時点では死が2時間後に迫っていたことになる。
特攻出撃を間近に控えての笑顔。彼らは何を語り、伝えようとしていたのか。。
この万世特攻祈念会館で思いました。
特攻兵隊員はいわば日本のエリート達です。
彼らは特攻隊員になれた事に誇りを持ち
開聞岳を目指し飛び立ったのだと。
可哀想ではなく
敬意を持って
今の平和は彼らの命の上にある事を忘れてはいけない
と思いました。
外に案内され
「よろずに」の銅像の説明もして頂きました。
体の向き、正面には「開聞岳」超えた先には沖縄。
この地から沖縄戦にたった仲間を想い
顔は東を見つめています。
視線の先は遠く自分の故郷を思う
と言う事でした。
二度と戦争は起こしてはいけない。
私は本当に今の平和な時代に生まれた事のありがたさを心から痛感した万世特攻祈念会館でした。
ぜひとも訪れていただき場所です。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。